2012年5月16日 星期三

English Law and the Renaissance (1901) Frederic William Maitland

英格蘭法與文藝復興
叢書名稱: 法譯館‧講演集
作  者: (英)弗雷德里克‧威廉‧梅特蘭/(英)約翰‧漢密爾頓‧貝克
出版單位: 北京大學
出版日期: 2012.



編輯推薦:《法 譯館?講演集:英格蘭法與文藝復興》是劍橋大學兩位大師梅特蘭和貝克的同名演講集。梅特蘭在1901年發表演講,認為英格蘭法的講授塑追了英格蘭法堅韌的 品格,而英格蘭法的講授無疑又歸功於律師公會的誦講人和法學院的教師,這最終使得英格蘭法沒有像歐洲大陸法那樣被羅馬法取代。1984年貝克發表同名演 講,認為中世紀歐洲大陸對羅馬法的繼受並非如梅特蘭描述的那樣徹底,而英格蘭法在羅馬法滲透歐陸之時也並非毫釐無損。這兩篇演講不僅對英格蘭法與文藝復興 之間的關係有精劉的解讀,更為重要的是為我們研究同類問題提供了非常有價值的研究方法。

作者簡介:弗 雷德里克·威廉·梅特蘭(Frederic WilliamMaitland),林肯律師公會律師,法學博士,羅馬法法學博士,劍橋大學英格蘭法唐甯講席 教授。  約翰·漢密爾頓·貝克爵士(Sir John HamiltonBoker),劍橋大學英格蘭法唐甯講席教授,不列顛學院院士(FBA)。   易繼明,法學博士,北京大學法學院研究員。  杜穎,法學博士,華中科技大學法學院教授。

 http://en.wikipedia.org/wiki/Frederic_William_Maitland

 Frederic William Maitland (28 May 1850 – 19 December 1906) was an English jurist and historian, generally regarded as the modern father of English legal history.

He edited many volumes for the Selden Society, including Select Pleas for the Crown, 1200–1225 and Select Pleas in Manorial Courts and The Court Baron. His principal works include:
He also made important contributions to the Cambridge Modern History, the English Historical Review, the Law Quarterly Review, Harvard Law Review and other publications. Maitland delivered the Ford Lectures in 1897.






フレデリック・ウィリアム・メイトランド:Frederic William Maitland・1850年5月28日1906年12月19日)は、イギリス法制史学者

イートン校を経てケンブリッジ大学トリニティ・カレッジに進学する。1872年リンカン法学院に籍を置いて、1876年法廷弁護士の称号を得てロンドンで弁護士として働いた。1884年にトリニティ・カレッジの恩師であった哲学者ヘンリー・シジックの推挙でケンブリッジ大学のイギリス法の講師となり、1888年に教授となり、その3年後に学位を得た。
メイランドは出来るだけ原史料に依拠して自説を裏付けることを心がけ、そのために各地を巡って古文書などから訴訟記録などを蒐集した。また、当時イギリスに滞在していたロシアポール・ヴィノグラドフから大英博物館や各地の公文書館などに法律関係の古文書が多数収蔵されたままになっているという事実を指摘され、そのような古文書の発見にも尽くし、それらを解読して翻刻した。
1893年には代表的な著作である『イギリスの初期議会』(Records of the Parliament Holden at Westminster, 28 February 1305)が刊行され、続いて1895年には『英法史』(History of English Law before the Time of Edward I)を刊行した。この本はフレデリック・ポロックとの共著とされているが、今日ではそのほとんどがメイトランドによる著作であると考えられている。同書はアングロ・サクソン時代から13世紀にかけてのコモン・ロー成立の歴史を判例や訴訟文書などを用いながら描き出しており、法制史のみならず、イギリス史の書物として古典的な地位を今日でも保っている。1901年には、『イングランド法とルネサンス』(English Law and the Renaissance)を著してローマ法のイギリス法への継受の可能性を指摘するなど多くの著書を著し、後に日本語訳された著書も多い。だが1906年、カナリア諸島への旅行中に肺炎にかかり、ラス・パルマスで急逝した。
死後も遺稿が『イングランド憲法史』(The Costitutional History of England)として刊行されるなど、「イギリス史上最大の法制史家」として高い評価を受けている。その一方で、権力側に偏りがちな残存古文書への過度 な依存やローマ法継受の可能性を唱えた主張については異論も出されている。

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